2022年12月14日水曜日

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人間は真面目でなければいけないが、しかし、にやにや笑っているからといってその人を不真面目ときめてしまうのも間違いだ。
太宰治『散華』 
  
感覚だけの人間は、悪鬼に似ている。どうしても倫理の訓練は必要である。
太宰治『純真』 
  
純粋の詩人とは、人間以上のもので、たしかに天使である。
太宰治『散華』
  
いったい何だってそんなに、自分でえらがっているのか。
自分ももう駄目ではないかという反省を感じたことがないのか。
強がることはやめなさい。人相が悪いじゃないか。
太宰治『如是我聞』 

なぜ、(人間はみな)同じだと言うのか。
優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。
太宰治『斜陽』
  
駄目だかどうだか、自分で実際やってみて転倒して傷ついて、それからでなければ言えない言葉だ。
太宰治『みみずく通信』
  
人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。
太宰治『正義と微笑』 




2022年1月20日木曜日

 

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モーリス・メルロー・ポンティ
我々は、我々自身の経験を、つまり、我々がそれであるところの、この意識の経験を持っている。そして言語のあらゆる意味は、他ならぬこの経験をもとにして測られるのだし、また言語が我々に対して何ごとかを意味すること自体、この経験のおかげで初めて可能となるのである。

習慣とは、我々の「世界への(における)存在」(l'êtreaumonde)を膨張させる我々の能力、あるいは新しい器具をおのれに添加することによって実存を変える我々の能力、の表現である。
話している時には、私は、自分のなすべき諸運動を表象するわけではない。ちょうど私の手が、私に差し出されたものを取るためにひとりでに動くように、私の全身体的装置が、語に追いつき語を発語しようと集まるのである。

身体は、必然的に「ここ」にあるのと同様、必然的に「今」実存している。それは決して「過去」となることはできない。

ゲシュタルト心理学は心理学的認識と言う物を新しい仕方で考える。すなわちそうした認識は諸々の類型的全体を要素に分解することにあるのではなく、むしろそれらの全体を見に引き受けそしてそれらを生き直すことによって了解することにあるというのである。

言語は思惟の「記号」(signe)ではない。言葉と思惟とがいずれも主題的に与えられている場合にのみ両者の間にこのような外的関係が成り立つであろうが、実は両者は相互に他方の中に含まれているのであって、意味は言葉の中に嵌め込まれ、言葉は意味の外的実存なのである。

言葉は正真正銘の身振りである。身振りがその意味を含んでいるように、言葉もまたその意味を含んでいる。そしてこのことがまさに意思伝達を可能ならしめるものなのである。